大阪市城東区|本町|森ノ宮|大阪メトロ中央線沿線や深江橋駅から交通便利な心療内科 リオムメンタルクリニック

診療予約はこちら

宮木こういちチャンネル

心療内科・精神科・一般内科
宮木医院リオムメンタルクリニック
〒536-0022
大阪府大阪市城東区永田4-8-10
TEL:06-6180-4111

オンラインでの初診予約(再診予約は受診後会計時かお電話のみ)は基本的に24時間受付可能です。
電話受付は開院日の診療時間帯のみで、混雑のため繋がりにくくなることがありますことをご了承願います。

近隣紹介とユングから見たタロット

 大阪メトロ中央線 深江橋駅1番出口から徒歩3分の宮木医院リオムメンタルクリニックは、大阪市城東区、本町、森ノ宮などの大阪メトロ中央線沿線やJR放出駅に近く、「社会的処方」や「ネガティブ・ケイパビリティ」をキーワードとして、発達障害や依存症に対する認知行動療法を基盤とした医師・公認心理士による集団療法(各種健康保険が使えます)に力を入れながら、小児精神神経学会の会員として児童思春期の診察も行っています。

 水の都と呼ばれる大阪は「江戸の八百八町」「京都の八百八寺」と並んで、「浪華の八百八橋」とかつて呼ばれたほど橋の付く地名が多く、最寄り駅の深江橋、お隣の緑橋のほか、京橋、心斎橋、日本橋、天満橋、淀屋橋など枚挙にいとまがありません。江戸の橋は大半が「公儀橋」と呼ばれる幕府が架けた橋でしたが、大阪では大部分が町人たち自身が生活や商売のために自分たちで架けた「町橋」で、お上に頼らない大阪商人の勢いを感じさせるエピソードですね。

 さて当院の近くのおすすめスポットですが、この深江橋駅の公式スタンプ(大阪メトロが地下鉄全駅に作っているもの)にも図柄が採用されている「永田公園」という公園が、当院から北に1分もかからない至近距離にあります。

 私が子供のころから存在感を発揮していた超大型の滑り台が地下鉄スタンプの図柄になっていますが、それくらい地域の人たちから親しまれている公園で、今もこの滑り台で子供たちが元気に遊んでいたり、小さなお子さんを連れたお母さんたちが談笑していたり、犬を連れた飼い主が散歩していたり、ベンチでぼーっと過ごす人がいたりと、大阪市内とは思えない「ゆったりした時間」が流れている場所です。大きな滑り台だけでなく、普通の滑り台やブランコ、ジャングルジム、鉄棒、砂場などの遊具とたくさんのベンチが設置されていて、特に藤の花が開花する4月中旬~5月中旬ごろは藤棚の下にある石のベンチ(複数あり)に座ると心地よいかと思います。

 警察官の宿直施設やパトカー車庫も備えた24時間体制の交番が隣接しており、公園周囲の塀が低く見通しの良い公園で明かりも十分設置されているため、夜の散歩も安心してできる点もおすすめです。

 もう一つ、当院の近くには柔道の創始者で私の通っていた中高の初代校長でもあった嘉納治五郎先生(神戸市にある灘五郷の御影郷出身)が創設した講道館の大阪国際柔道センターがあります。

 私もかつては中学の必修科目として柔道をやっていましたが、中高生や大学生、成人を対象とした柔道教室だけでなく、こちらでは小学一年生から柔道を教えており、女性の入門者も複数いるそうです。保険料を含む月謝が5000円と良心的だと思いますし、由緒正しい道場ですので、遠方から練習に来ている方もいらっしゃいますし、コロナ禍でも感染症対策に注意を払って稽古を継続しているそうなので(1日練習という制度もあるそうです)、ご興味がある方は覗いてみてはいかがでしょうか。

(余談ですが、柔道は相手の動きや体重移動を利用し、自分の持つ力を有効に働かせることに特徴がありますが、嘉納先生は柔術の「柔よく剛を制す」の柔の理から「心身の力を最も有効に使用する」原理へと発展させ(「精力善用」)、これを社会生活でも欠くことのできない重要な原理(心身の力を最も有効に働かせる精力の最善活用)と考えておられました。また人間と社会の進歩と発展に貢献すること、すなわち「自他共栄」をその修行目的としなければならないとも教えておられ、この加納先生による「精力善用 自他共栄」という言葉は、今も私のモットーの一つとなっています。)

最後に大阪市城東区の「名所・旧跡」というページで紹介されていて、宮木家の菩提寺でもある蓮乗寺をご紹介したいと思います。

このお寺の墓地には日露戦争で亡くなった高祖伯父(高祖父の兄)の碑もあり、小さな頃から先祖代々のお墓参りと共によくお参りしてきました。史料によると15世紀(応仁二年すなわち1468年ということは、応仁の乱の最中)に、浄土真宗の中興の祖といわれる蓮如上人が永田村の宮木久兵衛方で説法をされた時、上人の話が始まると池のカエルが一斉に鳴き止んだという伝説があり、後にその土地が寄進されて蓮乗寺が出来たという寺の縁起が今も扁額(6行目にご先祖の宮木久兵衛の記載あり)として蓮常寺の門に掲げられています。上述のカエルが鳴くのをやめたという不鳴池(なかずのいけ)も墓地内に現存しています。

 これはセレンディピティというか偶然なのですが、何気なく撮影した蓮常寺の下記写真の掲示板に、仏教詩人榎本栄一の言葉

「どうにもならぬままが 私のこんにちあるく 道でございました」

が記載されていて、当院の診療方針のページでも紹介した英国の詩人キーツの言葉「ネガティブ・ケイパビリティ」と同じことを言っているように感じました。

 ともすると私たちは、自分の思い通りになることが「幸せ」で、どうにもならないことが「不幸」であると考えがちですが、これは自分が作り出した価値観や善悪の基準によって自分自身が振り回されているともいえます。自分の思いや努力ではどうにもならないことが満ちあふれている人生を私たちが生きているという事実を仏様は教えてくださっていて、そうした「どうにもならぬまま」ことを自覚し受け入れて生きていく中にこそ、それぞれの人に用意された人生の道に気付くことができるのではないかという意味のようです。

 キーツのネガティブケイパビリティの考え方も、人生や社会にはどうにもならないことがたくさんある中で、結論を棚上げする創造的な能力を発揮してどうにも決められない曖昧な状況を受け入れ、なんとか踏ん張り続けることが新しい可能性に心を開き続けることになるという人生の真理を示していて、「どうにもならぬまま」を受け入れて人生という道を歩んでいくことの大切さ・尊さを示唆しているように感じます。自分自身がどうにもならないことを受け入れて踏ん張り続けることは、決して後ろ向きなことではないと勇気づけられますし、同じような状態の患者さんにすぐ問題を解決できなくとも寄り添い続ける根拠を与えてくれる気がして、時代も国も異なる二人の詩人の言葉との出会いは不思議なご縁だと思いました。

 余談が長くなりましたが、観光スポットではないものの深江橋には印象深い場所が複数ありますので、その一部を紹介させてもらいました。

 当院に来院されることがありましたら、帰り道にでも一度、永田公園や講道館に是非立ち寄ってみてください。


 当院近隣をご紹介したついでに、趣味的な話ですがタロットカードという古い道具のことを少しだけ紹介させてください(本ページ最後にも注意書きしていますが、タロットは疾患の診断・治療・予防を目的とするものではなく、あくまで心理的な洞察を深め、自己理解を促す補助的ツールとして捉えられるという観点の紹介であって、診断や治療を目的におすすめしているわけでは決してありません)。

タロットの生まれとその変容

タロットカードの起源については、古来さまざまな説が語られてきました。エジプト神秘主義との関連を説く伝説的な仮説から、中世ヨーロッパの遊戯カードとの連続性を重視する実証的な見解まで、研究者によって立場は一様ではありません。ただし、歴史的な文脈のなかで私が特に興味深いと思うのは、タロットの原型が、精神的な苦悩のなかにある人を慰めるという文脈と結びついて語られてきた点です。

 フランス王シャルル六世(Charles VI, 1368-1422)は、若年で即位したのち、1392年頃から重い精神的不調を反復したことで知られています。当時の記録には、いわゆる「ガラス妄想」を思わせる描写も含まれており、近年の精神医学的検討では双極性障害との関連を示唆する見解も発表されています。王の苦悩をいかに和らげるかは宮廷にとって切実な問題であったようで、1392年の宮廷会計記録には、画家ジャクマン・グランゴヌール(Jacquemin Gringonneur)に対し、金彩を含む彩色遊戯札3組の制作費が支払われたことが記されています。この記録は後世、「シャルル六世のタロット」と結びつけられ、長らくタロットの最古級の証拠として語られてきました。

 現在、「シャルル六世のタロット」と呼ばれる17枚のカード群は、パリのフランス国立図書館に所蔵されています。もっとも、近年の研究では、現存するカード群そのものはグランゴヌール作ではなく、1470年頃のイタリア制作とみる見解が有力であり、1392年の会計記録にある遊戯札と単純に同一視することには慎重さが必要とされています。それでもなお、精神的不調に苦しむ王を慰めるために彩色カードが制作されたという歴史的連想は、タロットの文化史においてきわめて示唆的だと思います。言葉では受け止めきれない不安や混乱に対し、絵柄と象徴を備えたカードが寄り添うという構図は、今日われわれがタロットに見いだす心理的機能を先取りしているようにも思われます。

 その後タロットは、15世紀イタリアの宮廷文化のなかで洗練され、ヴィスコンティ家やスフォルツァ家に結びつく豪華なデッキが制作されました。とりわけヴィスコンティ=スフォルツァ版は、現存する最古級のほぼ完全なデッキ群として、後世のタロット理解にきわめて大きな影響を与えています。これらは当初、今日的意味での「占い道具」というより、宮廷的教養・権力・象徴秩序を映し出す美術工芸品であり、遊戯札でもありました。タロットが占いや自己省察の道具として広く使われるようになるのは、もう少し後の時代のことです。

 18世紀になると、タロットは単なる遊戯札を超えて、宗教的・哲学的・神秘思想的な意味づけを担う象徴体系へと変容していきます。アントワーヌ・クール・ド・ジェブラン(Antoine Court de Gébelin)は、1781年の著作のなかでタロットを古代エジプトの叡智の残響として解釈し、後世のオカルティズムに大きな影響を与えました。今日では、このエジプト起源説には歴史学的根拠が乏しいことが広く知られていますが、それでも彼の解釈は、タロットを「意味を読む体系」へと再編する重要な契機となりました。

 ただし、こうした後世の意味づけは豊かな文化史的価値をもつ一方で、原史料から離れた投影や再解釈を多く含んでいます。タロットを理解しようとするとき、「歴史的に確認できること」と「後世に発展した象徴的解釈」とを区別しつつ、その両者を往還する姿勢が必要だと思います。精神科臨床でも、患者さんが語る物語の事実水準と意味水準を区別しながら、しかし両方を尊重して聴くことが求められますが、タロット理解にもそれに近い知的態度が大切ではないでしょうか。

スタンダードへの回帰:ライダー版と古典に立ち返る意義

 現代のタロット理解において、もっとも大きな影響を与えているのは、1909年に出版されたライダー・ウェイト版(Rider-Waite Tarot)です。これはアーサー・エドワード・ウェイト(A. E. Waite)が監修し、パメラ・コールマン・スミス(Pamela Colman Smith)が描いたデッキで、現在も世界中で広く用いられているタロットの事実上の標準形といえます。とりわけ、小アルカナの数札にまで具体的な場面を描き込んだことは画期的で、カードの象徴を直感的に読み取りやすくした点において、その後のタロット文化全体に決定的な影響を与えました。

 ここで重要なのは、ライダー版には単に美しい絵柄があるだけでなく、ウェイト自身による解説書、すなわち『The Pictorial Key to the Tarot』(1911年)という古典的テキストが存在する点です。現代では、タロットに関する解説や動画、派生デッキが氾濫しており、カードの意味が断片的な流行語のように消費されることも少なくありません。しかしそのような時代だからこそ、原典に立ち返ることには大きな意義があると思います。ウェイトの記述をたどることで、各カードに託された象徴的構造や、カード同士の体系性をより丁寧に理解できるからです。

 医学や心理学でも同様ですが、二次情報や要約だけを追っていると、いつのまにか本来の問題設定や概念の厳密さを見失いがちです。タロットについても、現代の解説書だけでなく、ライダー版の原典や古典的資料に目を通すことが大切だと考えています。古典に立ち返ることは懐古趣味ではなく、解釈の暴走を防ぎ、思考の足場を確かにする営みだと感じます。

 とりわけ、ライダー版の大アルカナは「愚者の旅」として理解されることが多く、これは一人の人間が無垢な出発点から経験と葛藤を経て成熟と統合へ向かう物語として読むことができます。こうした物語構造は、次節で述べるユング心理学の個性化過程とも深く響き合います。タロットは占いの道具としてだけでなく、人間の心の発達や自己理解を考えるための象徴体系としても重要なのではないかと思います。

ユング心理学から見たタロット

 スイスの精神科医カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung, 1875–1961)は、人間の心には個人的無意識に加えて、人類に共通する深層としての集合的無意識(collective unconscious)があると考え、そのなかに普遍的なイメージや行動様式としての元型(archetype)が存在すると論じました。母、父、老賢者、影(シャドウ)、英雄、死と再生といった元型は、夢・神話・宗教・芸術作品のなかに繰り返し現れます。タロットの大アルカナもまた、そのような元型的イメージを豊かに含んだ体系として理解することができると思います。

 ユングはまた、人が自己の深層にある本来の姿へと近づいていくプロセスを「個性化(individuation)」と呼びました。これは、外側の社会的役割(ペルソナ)に埋没するのでなく、自分の影(シャドウ)や対極的な要素(アニマ・アニムス)と向き合いながら、より統合された自己へと成長していく過程のことです。タロットの大アルカナ22枚は、この旅を順番に図像化したものとして読むことができます。

 各カードのユング的な読みを整理すると、以下のようになります。

  • 0番「愚者」:無垢のまま旅立つ魂。始まりと可能性の象徴。ペルソナが形成される前の純粋な潜在性を示す
  • 17番(魔術師〜戦車):世界に出て自我(エゴ)を確立していく前半の旅。意志・直観・養育・権威・信念・選択・統制といった意識的な力が育まれる
  • 814番(力〜節制):内面の葛藤、シャドウとの出会い、価値観の転換が訪れる中間の旅。勇気ある自己直視、内省、犠牲と変容、バランスの模索が問われる
  • 15番「悪魔」:シャドウとの直面。依存・執着・抑圧された欲動との対峙。直視することではじめて解放への道が開かれる
  • 16番「塔」:これまでの自我構造の崩壊。しかしそれは再生の前触れであり、ユング的には古い自己像の解体として肯定的に読むことができる
  • 1720番(星〜審判):魂の洗い直し、内なる声への傾聴、新たな自己の目覚め。希望の回復、無意識の統合、霊的な覚醒が象徴される
  • 21番「世界」:個性化の達成。内と外、自己と世界が統合された状態。ユングの言う「自己(Self)」への到達を示す

 このように読むと、タロットの大アルカナは22枚で一つの心理的成長の物語を構成していることが分かります。もちろん、カードは機械的に「順番どおりに体験するもの」ではなく、人それぞれがどの場面にいるかを映し出す鏡として機能するのだと思います。

 ユング心理学の観点からみると、タロットは一種の投影法として機能しえます。ロールシャッハ・テストや主題統覚検査(TAT)と同様に、曖昧で多義的な図像に対して人がどう意味づけるかを見ることで、その人の内面世界が映し出されるからです。実際、カウンセリングや心理療法の文脈でタロットを投影的技法として活用する可能性は、近年の実践的・学術的文献でも論じられており、精神科臨床に携わる者として非常に興味深いと感じています。

 またユングは、因果関係だけでは説明しきれない「意味のある偶然の一致」を共時性(synchronicity)と呼びました。タロットに魅力を感じる人の多くは、まさにこの「なぜか今の自分にぴったりくる」という体験に惹かれているのではないかと思います。ユング的に言えば、それはカードが外から運命を決定しているというより、内面と外界とのあいだに象徴的な意味の連関が立ち上がってくる現象として理解されます。論理では割り切れないこのような体験を、「迷信だから無意味」と切り捨てずに、「こころの深層が何かに気づこうとしているサイン」として受け取ることができれば、タロットはより豊かな道具になるのではないでしょうか。

星読み(占星術)の科学的・心理学的背景

 タロットと並んで、占星術もまた人類が長い時間をかけて育ててきた象徴言語のひとつです。私自身は、占星術を無批判に事実認定する立場ではありませんが、かといって単なる迷信として切り捨ててよいとも思いません。占星術は、人類が数千年かけて育ててきた「世界を読む詩的な言語」であると考えています。科学がそれをすべて置き換えられるかというと、私にはそうは思えません。なぜなら、科学は再現可能な現象を記述することにはきわめて優れていますが、個々人の体験がその人にとってどのような「意味」をもつかまでは保証しないからです。

 もちろん、占星術に含まれる主張のうち、自然科学のレベルで検証可能な部分については、慎重に吟味する必要があります。たとえば月の潮汐力が海に影響を与えることは明確な物理現象ですし、生体リズムが光周期や季節変動の影響を受けることも時間生物学の知見として広く認められています。こうした事実を背景として、古代の人々が天体の運行と生命のリズムとのあいだに連関を見いだそうとしたこと自体は、必ずしも不自然ではないと思います。

 一方で、個々の惑星配置が個人の性格や運命を直接決定するといった強い因果的主張については、現代科学の標準的知見からみて十分な実証があるとは言い難いのも事実です。そのため、占星術を扱う際には、因果の科学と意味の解釈学とを混同しないことが大切だと考えます。占星術は、物理法則の説明書というよりも、人が自らの経験を秩序づけ、人生の局面に名前を与え、内省を深めるための象徴的マップとして理解するほうが、現代においては誠実ではないかと思います。

 黄道十二宮の区分も、そのような象徴的マップの典型です。地球の公転軌道を12に分け、季節の循環と人間の気質を結びつけて理解する発想は、農耕社会の生活感覚や季節変動への鋭い観察に根ざしています。また出生時刻を基準に天空を12の領域に分けるハウスシステムも、人の生を「自我」「家庭」「仕事」「対人関係」など複数の側面から構造化して眺めるための、人類の知的工夫として読むことができると思います。

 惑星の順行・逆行・停滞といった概念も同様です。天文学的には、逆行は地球から見た見かけの運動にすぎません。しかし、順行を外向きのエネルギー、逆行を内省、停滞を転換点として象徴的に読むことには、自己観察の補助線として一定の意味があるように感じます。大切なのは、それを自然科学的事実として過大評価することではなく、心理的なリフレクションの契機として節度をもって用いることではないでしょうか。

科学的態度で読むために

 大切なのは、占星術やタロットの示唆を自己理解のヒントとして受け取りながら、医療上の判断、職業選択、重要な対人関係など、人生に大きな影響を与える意思決定においては、科学的根拠のある情報と専門家の意見を優先することだと思います。これは占星術やタロットを否定することではなく、それぞれの役割の違いをわきまえるということです。

 「星を信じる」ことと「科学的に考える」ことは、必ずしも対立しません。科学は外界の再現可能な法則を記述する強力な方法であり、医療や公衆衛生において不可欠です。他方で、人が喪失や不安、希望や選択の意味をどう受け止めるかという問題は、科学だけでは尽くしきれません。詩や宗教、物語や象徴が長く人間とともにあったのは、そのためだと思います。

 したがって、タロットや占星術に接するときには、第一に相関と因果を混同しないこと、第二にバーナム効果(Barnum effect)や確証バイアスといった認知の偏りに自覚的であること、第三にそれらを自己理解と対話の補助線として活用しつつ、医療や社会生活の重要な判断にはエビデンスと専門的助言を優先することが重要だと考えます。そのような態度を保てるならば、タロットや占星術は、非科学の名のもとに排除されるべきものではなく、人間理解の周辺に豊かな陰影を与える文化的・心理学的資源として生かされうるのではないかと思います。

 精神的な苦悩のただなかにあった王を慰めるために彩色カードが作られたという歴史的記憶に始まり、ライダー版によって標準化され、ユング心理学によって深層心理との対話の道具として読み直されてきたタロットは、今なお多くの人の心に語りかけています。占いとしてのみではなく、象徴を通じて自己を見つめる営みとしてこれを捉えるならば、タロットもまた、現代人にとって静かな知的実践のひとつとなりうるのではないでしょうか。


注)タロットは疾患の診断・治療・予防を目的とするものではなく、あくまで心理的な洞察を深め、自己理解を促す補助的ツールとして位置づけられます。心身が疲弊して不調を感じているときや精神的に不安定なときは、お近くの医療機関にご相談ください。

<引用文献>

  1. The Visconti-Sforza Tarot: Art, Power, and Symbolism. Kerykeion, 2024.
    https://kerykeion.net/content/learn-tarots/history/visconti-sforza-tarot
  2. Antoine Court de Gébelin – Wikipedia.
    https://en.wikipedia.org/wiki/Antoine_Court_de_G%C3%A9belin
  3. Antoine Court de Gébelin, pastor, freemason and mythologist. Nos Colonnes, 2025.
    https://www.nos-colonnes.com/en/blogs/our-items/antoine-court-de-gebelin-pastor-freemason-and-mythologist
  4. Rider–Waite Tarot – Wikipedia.
    https://en.wikipedia.org/wiki/Rider%E2%80%93Waite_Tarot
  5. Waite AE. The Pictorial Key to the Tarot. William Rider & Son, 1911.
  6. Carl Jung and the Tarot: Archetypes and the Collective Unconscious. Kerykeion, 2024.
    https://kerykeion.net/content/learn-tarots/psychology/jung-and-tarot
  7. Carl Jung: Archetypes and Analytical Psychology. Psychologist World.
    https://www.psychologistworld.com/cognitive/carl-jung-analytical-psychology
  8. Jung CG. The Archetypes and the Collective Unconscious (Collected Works Vol. 9, Part 1). Princeton University Press, 1969.
  9. Cohen L. Using Tarot as a Projective Technique in Therapy. Laura Cohen Counselling, 2024.
    https://lauracohen.org/using-tarot-as-a-projective-technique-in-therapy/
  10. Mager J. Divining the Self: Applying Tarot as a Projective Technique in Counseling. James Madison University Honors Theses, 2020.
    https://commons.lib.jmu.edu/context/edspec202029/article/1081/viewcontent/
  11. Kopp R. Palmistry, tarot cards, and psychotherapy. Journal of the Louisiana State Medical Society, 2008; 160(4): 205–208. PubMed PMID: 18681355.
    https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/18681355/
  12. DeMarte V. A Study of the Use of Tarot in Therapeutic Settings. University of Maine Honors Theses, 2024. https://digitalcommons.library.umaine.edu/honors/852/
  13. Kaplan SR. The Encyclopedia of Tarot, Volume I. U.S. Games Systems, 1978.
  14. Naudin G, et al. The mental health of our sovereigns: The case of King Charles VI of France. Bipolar Disorders. 2018;20(3):293–294.
    https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/29498162/

追加コラムと資料:精神的不調に苦しむシャルル6世を慰めるために作られた彩色カード

 フランス王シャルル六世(Charles VI, 1368–1422)は若年で即位したのち、1392年頃から重い精神的不調を繰り返したことで知られています。当時の記録には、いわゆる「ガラス妄想」を思わせる描写も含まれており、近年の精神医学的検討では双極性障害との関連を示唆する見解も発表されています。王の苦悩をいかに和らげるかは宮廷にとって切実な問題であったようで、1392年の宮廷会計記録には、画家ジャクマン・グランゴヌール(Jacquemin Gringonneur)に対し、金彩を含む彩色遊戯札3組の制作費が支払われたことが記されています。この記録は後世「シャルル六世のタロット」と結びつけられ、長らくタロットの最古級の証拠として語られてきました。

 現在パリのフランス国立図書館(BnF)に所蔵される17枚のカード群は「タロ・ディ・ド・シャルル・シス(Tarot dit de Charles VI)」と呼ばれています。もっとも、近年の研究では、このカード群そのものはグランゴヌール作ではなく、1470年頃のフィレンツェ制作とみる見解が有力であり、2021年にはフィレンツェの工房主アポッロニオ・ディ・ジョヴァンニとマルコ・デル・ブオーノのアトリエへの帰属が示されています。1392年の会計記録にある遊戯札と現存の17枚を単純に同一視することには、慎重さが必要です。

 それでもなお、精神的不調に苦しむ王を慰めるために彩色カードが制作されたという歴史的事実は、タロットの文化史においてきわめて示唆的です。言葉では受け止めきれない不安や混乱に対し、絵柄と象徴を備えたカードが寄り添うという構図は、今日の私たちがタロットカードに見いだす心理的機能を先取りしているようにも思われます。王のために作られた現存する17枚の美しいカードを目にするとき、美術作品としての美しさと共に、そのような心理学的な役割を考えさせられます。

 幸い貴重な資料がパブリックドメインで公開されていますので、興味のある方のご参考や研究資料として画像と解説をまとめて示したいと思います。

愚者(Le Fou) シャルル六世のタロット 
c.1470–1500年/ フランス国立図書館蔵 / パブリックドメイン

 15世紀のフィレンツェの職人の手によるこれら17枚には、ウルトラマリンブルー(ラピスラズリが原料、この半貴石に含まれる青色鉱物lazuriteが発色の本体で、化学的にはナトリウム・アルミニウム・ケイ酸塩の複合体Na₇Al₆Si₆O₂₄S₃)・朱(Vermilion、辰砂と呼ばれる硫化水銀HgSを粉砕した鉱物顔料)・緑青(Malachite、銅鉱石が酸化・炭酸化して生じる炭酸銅水酸化物Cu₂(OH)₂CO₃)といった当時最高級の顔料が用いられ、随所に金箔が施されています。

「愚者」は放浪者のごとく軽やかな歩みを見せながら、その衣には精緻な刺繡と金彩の文様が施されています。人物の衣装の皺の一本一本、背景を埋め尽くす金唐草の細かな曲線——これらはフィレンツェ・ルネサンスの写本彩飾(イルミネーション)芸術の精華を凝縮したものであり、マルセイユ版やライダー版とは別格の、宮廷美術としての高みを示しています。

皇帝・法王(L'Empereur, Le Pape) シャルル六世のタロット 
c.1470–1500年/ フランス国立図書館蔵 / パブリックドメイン

「皇帝」は玉座に帝冠・笏・地球儀という三つの象徴(それぞれ宇宙的象徴、権力と至高の尊厳、世界の支配)を携えて座り、「法王」は二本の鍵(神の平和と地上の平和を象徴)と聖書を手にして枢機卿たちに囲まれています。玉座の前に跪いて胸の上で手を交差させる小さな人物たちは、忠誠の誓いを捧げる姿と解釈されています。どちらのカードも中世ヨーロッパの社会を支えた重要な権威を表しており、「皇帝」は世俗の秩序や統治、「法王」は信仰と教会の権威を象徴する図像です。こうした図像は15世紀の人々にとって、権力や制度を目に見えるかたちで示す、きわめてわかりやすい存在といえるでしょう。

枢要徳——節制・正義・力(La Tempérance, La Justice, La Force) シャルル六世のタロット 
c.1470–1500年/ フランス国立図書館蔵 / パブリックドメイン

 枢要徳(すうようとく, virtutes cardinales)とは古代ギリシャ以来、西洋思想の根幹をなす四つの中心的な徳目で、賢慮・勇気・節制・正義を指します。この四徳はタロットの大アルカナカードにも色濃く反映されていて、「節制(Temperance)」「正義(Justice)」「力・剛毅(Strength / Fortitude)」が大アルカナとしてほぼそのまま登場し、残る「賢慮(Prudence)」は「隠者(Hermit)」に相当するとされています。

「節制」の女性像は二つの杯の間でワインと水を静かに注ぎ合わせ、過剰も不足も排した「中庸」の精神を体現しています。「正義」は剣と天秤を手にした女神として描かれ、目隠しなしに正面を向くことで、感情に流されない普遍的な裁定の厳しさを示しています。「力」で女性が抱える折れた柱は、旧約聖書の英雄サムソンが目を潰されながらも神殿の柱を両手で倒し、敵もろとも命を絶ったという「剛毅(fortitudo)」の伝統的図像です。現代のタロットで馴染み深い「獅子を押さえる女性」は暴力によらず精神の強さで本能を制御する内なる勇気を象徴しますが、こちらはより古い聖書的・殉教的な「力」の概念を今に伝えていて興味深いです。古代ギリシャからキリスト教神学へと受け継がれたこの三徳は、欲求のコントロール(節制)、公平な判断(正義)、困難への向き合い方(力)——に直結しているともいえ、節制・正義・力をもって自らと社会を律する人間の理想像を、500年以上の時を経た今も静かに問いかけています。

キリスト教的寓意——死・神の家・最後の審判(La Mort, La Maison-Dieu, Le Jugement) シャルル六世のタロット 
c.1470–1500年/ フランス国立図書館蔵 / パブリックドメイン

 骸骨の「死神」は黒い馬に跨り、法王・司教・枢機卿・国王といった地上の権力者を無差別に踏みにじっています。ルネサンス期のヨーロッパでは、ペストの流行や戦乱によって死が日常的に身近にありました。そうした時代背景の中で、このカードは人々に「死はすべての者に平等に訪れる」というメッセージを伝えています。王も農民も、富める者も貧しい者も、死の前ではすべてが無力であるという、中世以来の「死の舞踏」の伝統を引き継いだものと言えるでしょう。しかしこのカードの本当の意味は、決して絶望だけではありません。死があるからこそ、私たちは今この瞬間を大切に生きることができる。終わりがあるからこそ、始まりがある。このカードは、破壊の後に必ず再生が訪れるという、循環する生命の真理を私たちに示しているともいえます。

「神の家」は、雷に打たれて崩れ落ちる塔を描いています。バベルの塔を思わせるこの塔は、人間の傲慢さや虚栄心の象徴です。高くそびえる塔は、人間が自らの力で天に届こうとする驕りを表しています。そしてその塔が一瞬で崩れ落ちる様子は、どれほど堅固に見えるものでも、思いがけない出来事によって脆くも崩れ去るという現実を教えています。またこのカードは「突然の変化」や「予期せぬ破壊」も象徴しています。長年かけて築き上げたものが一瞬で失われること、安定していると思っていた基盤が揺らぐこと。しかし、それもまた人生の一部であり、古いものが崩れることで、新しいものを築くための土台ができるというメッセージも含まれています。

「最後の審判」では天使がトランペットを吹き、墓から裸で目覚める死者たちの姿が繊細な筆致で描かれています。このカードが表しているのは、最終的な「決断」や「結果」の時です。善行を積んだ者は天使に導かれて天国へと昇り、悪しき行いをした者は地獄へと落とされます。これは単なる宗教的な教訓ではなく、私たちの日々の選択や行動が、いつか必ず何らかの形で結果として返ってくるという、因果応報の原理を象徴しています。また、このカードは「再生」や「救済」の意味も持ち合わせています。最後の審判は終わりであると同時に、新たな始まりでもあります。裁きの後には、選ばれた者たちによる永遠の平和と幸福が約束されているのです。このカードは、困難な試練を乗り越えた先に、必ず報いと新しい世界が待っているという希望のメッセージを私たちに伝えています。

これら三枚はいずれも「終わり」と「変化」をテーマとしていますが、その精神的な重みは精神的苦悩の中にあった王のもとに置かれたという歴史的文脈を考えるとさらに興味深く最後のまとめでも触れますが、すべてのものには終わりがあり、その終わりを経て新たな始まりが訪れるという、普遍的な生命の循環を表現しているともいえるでしょう。

民俗文化——恋人たち・隠者・吊られた男(L'Amoureux, L'Ermite, Le Pendu) シャルル六世のタロット 
c.1470–1500年/ フランス国立図書館蔵 / パブリックドメイン

「恋人たち」はこのカードには散策する三組の男女と二人のキューピッドが描かれています。中世の宮廷愛の伝統に基づき、優雅な衣装をまとった3組のカップルが描かれています。2人のキューピッドが矢を放ち、そのうち1組は官能的な口づけを交わしています。この口づけは、ルネサンスの詩に見られる純潔な口づけとは異なり、古代神々の自由な恋愛を連想させるものです。また、中央の女性の髪型は、1475年頃のフィレンツェの版画家バッチョ・バルディーニの作品と類似しており、当時の芸術的ネットワークの広がりを示すとともに、洗練された都市文化の気配を感じます。このカードは単なる恋愛の場面ではなく、宮廷文化の洗練、人間の情熱の肯定、そして古典への憧憬が重なり合った、多層的な寓意作品として理解することができるでしょう。

「隠者」はランタンを手に歩む老人として描かれ、四枢要徳のうち賢慮prudentiaの擬人像でありながら、同時に俗世を離れて内なる光に従う修道的求道者という中世社会に根ざした理想の姿を体現しています。ランタンは内なる光、すなわち真理や知恵を象徴しています。このカードが伝えるのは、社会の喧騒から離れ、内省と思索を通じて真実を探求することの大切さです。ルネサンス人文主義の影響を受け、外的な成功ではなく内的な充実を重視する姿勢が表現されています。

「吊られた男」の起源は中世ヨーロッパで借金踏み倒し者や裏切り者に科された「恥辱の吊るし」という民俗的刑罰にあり、シャルル六世のカードでもその図像的リアリティは保たれています。一見苦しみの場面ですが、彼の表情は穏やかで楽しげですらあります。これは、物事を別の角度から見ること、固定観念を手放すこと、コントロールできない状況を受け入れることの重要性を象徴しています。また、自らの意志で犠牲を選び、より大きな目的に身を捧げる姿勢も表しています。

これらはいずれも人間の内面的な成長や選択に関わるカードで、「恋人たち」は情熱の選択、「隠者」は内省と知恵の探求、「吊られた男」は受容と視点の転換をテーマとしており、ルネサンス人文主義が掲げた「人間とは何か」「どのように生きるべきか」という問いに対し、異なる角度からの答えを示しているともいえるでしょう。

天体の諸相——月・太陽・世界(La Lune, Le Soleil, Le Monde) シャルル六世のタロット 
c.1470–1500年/ フランス国立図書館蔵 / パブリックドメイン

 「月」では修道士と東洋の天文学者がコンパスで三日月を観測している様子が描かれていますそれぞれ異なる立場から天体を観測しているようで、夜空の下で知と信仰が静かに交差しています。見えにくいものを見ようとする中世末期の科学的精神への眼差しが感じられます。

「太陽」のカードには、古代ローマの運命の女神——パルカ(Parca)——が紡錘で糸を紡ぐ姿が描かれています 。生誕・生の経過・そして死の瞬間に糸を断つという三姉妹の役割のうち、このカードでは一人が天体の動きを見守りながら世界の調和を保つ姿が示されています。太陽は中世において王権や真理の象徴であり、錬金術的な文脈でも男性的・父性的な光の源として扱われてきましたが 、ここでは輝かしい光よりも、運命を織り続ける女性の静かな営みが前景に置かれているのが印象的です。

「世界」は三つの領域に分かれた構図をとっており、上部には球儀と笏を持つ女性が立ち、下部には丘の連なりと要塞を含む円形の風景が水の上に浮かんでいます 。このカードが制作されたのはコペルニクスの地動説(1543年)以前であり、世界の中心に大地を置くプトレマイオス的宇宙観が背景にあると考えられますが 、球儀を手にする女性像は同時に、全体を統べる普遍的な調和や完成の象徴として読むことができます。大アルカナの最後に位置するこのカードは、すべてのカードの旅を経た後に辿り着く「終わりであり、また始まり」としての静けさをたたえています 。

これらの3枚を並べてみると、いずれも人間が世界をどう受け取り、どう理解し、どう全体へとまとめていくかを扱っていることがわかります。「月」は見えないものを探るまなざし、「太陽」は時間と生命の秩序、「世界」はそれらを包み込む完成のかたちです。3枚はそれぞれ異なる働きを持ちながら、夜から昼へ、個別の経験から全体の統合へと進む流れを静かに示しているように思えます。

戦車(Le Chariot) シャルル六世のタロット
c.1470–1500年/ フランス国立図書館蔵 / パブリックドメイン

 古代ローマの凱旋式では、大きな戦果を挙げた将軍が馬車に乗り市中を練り歩く儀式が行われ、その記憶はルネサンス期の宮廷祝祭へと受け継がれました。14世紀の詩人ペトラルカが『凱旋(I Trionfi)』で描いた「愛・貞潔・死・名声が順々に前者を制覇してゆく寓意的行列」はこの文化風土をさらに豊かにし、その視覚的イメージがタロットのトランプ構造と並行して発展したと考えられています。シャルル六世のカードに描かれた高い台座の上に立つ簡素で力強い凱旋者の姿は、後のマルセイユ版が帯びていく「内なる衝動を御者として制御する」という心理的・哲学的読み替えが定着する以前の、勝利をそのまま地上に宣言する率直な「栄光の像」です。

剣のヴァレ(Valet d'Épées) シャルル六世のタロット 
c.1470–1500年/ フランス国立図書館蔵 / パブリックドメイン

 現存する17枚のうち唯一の小アルカナであるこのカード「剣のヴァレ」(英語ではPage of Swordsすなわちソードのページ)は、それ自体が美術史上の貴重な手がかりとなっています。剣を手にした女性の衣装——隆起した肩パッドと精巧なブロケード織りの上衣——は15世紀フィレンツェ貴族の流行に合致するもので、タロット史家たちがこのデッキをフィレンツェ起源と判断する主要な根拠のひとつとなっています 。剣を手にした武装した女性像は中世・ルネサンス美術における「賢慮」や「正義」の擬人像と図像的に連続しており、単なる遊戯カードの人物像を超えた寓意的な格調を備えています。もともとのデッキは大アルカナとともに小アルカナ56枚を含む78枚の完全な遊戯用カードであったはずで、この一枚がたまたま残存したという事実は、かつてのデッキの全体像がいかに豊かであったかを、逆説的に想像させてくれます。


 長くなりましたが、以上が現存するシャルル六世のカード全17枚の画像と解説です。その内訳をまとめると大アルカナ16枚と、小アルカナ1枚で、失われた大アルカナは「魔術師」「女教皇」「女帝」「運命の輪」「悪魔」「星」の6枚となります。現存するカードには「死神」「塔(神の家)」「最後の審判」といった終末論的な重い雰囲気の図像が含まれており、これは一見すると精神を病んだ王への「慰み」という制作目的と矛盾するように見えます。しかし中世キリスト教の世界観においては、死・審判・来世は隠すべき恐怖ではなく、人間が生きる意味を与える宇宙の秩序そのものでした。「メメント・モリ(死を忘れるな)」の精神は、死を突きつけることで現在の生を肯定するという、一種の精神的な処方箋だったのです。病んだ王に死と審判の図像を見せることは、彼を絶望に突き落とすためではなく、この世界には神の秩序があり、苦しみにも終わりと意味があるという——中世人が共有していた最も根本的な安堵の物語を届けることだったのかもしれません。

 ユング心理学の観点からは、タロットの大アルカナは「元型(アーキタイプ)」の視覚的コレクションとして読み解くことができます。「死神」「塔」「吊られた男」といった一見恐ろしいカードは、意識が直視を避けようとする「シャドウ(影)」の領域を象徴しており、それらを含むデッキが王の傍らに置かれていたという事実は、このデッキが単なる慰めの道具ではなく、王の内面世界を丸ごと映し出す鏡として機能していた可能性を示唆します。ユングは晩年の著作『心理学と錬金術』(1944年)および『人間と象徴』(1964年)において、中世の錬金術師たちが物質の変容を通じて行っていたのは実際には無意識の内容を「外の像」に投影し操作することで心の変容を促すプロセスだったと論じました 。すなわち「象徴は、意識が直接把握できない無意識の内容を可視化する唯一の手段である」というのがユング心理学の中核的な命題であり、言葉にならない苦しみを抱えた人間が、死や審判や力の図像と静かに「同席」することには、深い治療的意味があるとユングなら考えたかもしれません。現代の心療内科臨床においても、この視点はアートセラピーや描画療法として実践的な形で生き続けており、言語化できない感情が「形になる」ことで初めて対話の回路が開かれるという事実は、臨床の現場でも繰り返し確認されることです。精神に苦しむ王が、死や審判の図像と静かに「同席」していたという事実は、この直観を500年遡って体現しているようにも思えます。

現代の心療内科臨床においても、この視点は実践的な意味を持ちます。患者さんが言葉にできない苦しみを抱えているとき、象徴や色彩・図像を介した非言語的なアプローチ——アートセラピーや描画療法——がしばしば突破口になります。言語化できない感情は、語られる前にまず「形になる」必要があるからです。シャルル六世のタロットは、占いの道具であった以前に、まさにそのような機能——象徴によって無意識の内容を外在化し、それと対話する回路——を果たしていたのかもしれません。

このような美術的水準の高さを持つカードが、精神に深い苦しみを負った王の慰みとして置かれたという事実は、タロットという文化物の本質をあらためて問い直させてくれます。節制・正義・力という枢要徳の図像と、死・審判・塔という終末論的な重みを帯びた図像が一枚のデッキに共存していること——それは、苦しみの中にある人間に「あなたの痛みは、宇宙の秩序の中にある」と静かに伝えようとする、制作者の深い慈しみだったのかもしれません。言葉が届かないとき、象徴は届くことがあります。論理が力を失うとき、色彩と図像が内側に触れることがあります。この「精神的な鏡」の仕事は、15世紀の宮廷においても、21世紀の診察室においても、そして今この瞬間に苦しさを抱えて画面を見ているあなたのもとでも、変わらずに続いているのではないでしょうか。

クリニック案内

アクセス

  • 電車
    大阪メトロ中央線
    深江橋駅1番出口から徒歩3分
    JRおおさか東線・学研都市線
    放出駅から徒歩15分強
  • バス
    大阪シティバス
    地下鉄深江橋(西)停留所から徒歩4分
    地下鉄深江橋(北)停留所から徒歩5分

医院名
宮木医院リオムメンタルクリニック
院長
宮木 幸一
住所
〒536-0022
大阪府大阪市城東区永田4-8-10

診療科目
心療内科・精神科・一般内科
電話番号
TEL:06-6180-4111